小さな言の葉 1・・・「一遍上人」より 生ずるも独り 死するも独り 人と住するも独り 小さな言の葉 2・・・「西郷隆盛」より 己が言葉みずからの耳で聞くべし 小さな言の葉 3 ・・・「岡倉天心」より 名山何処葬詩骨 |
対人地雷:1個当たりの制作費はわずか3ドル(300円)だがその除去費用は最低1000ドル(11万円)!! カンボジア全土に埋められた地雷数(対戦車は含まず)600万個、過去10年間の除去数は15万個。 国連統計によると、一掃するのにあと400年は必要とある。となれば世界中の紛争地帯にばらまかれた地雷を 取り除くには有に千年はかかる計算になる。それも今後一個たりとも新たに地雷を埋めないことを前提とした場合である。 その原因を生み、拡大させていった為政者達は誰も責任を取ることはない。何という理不尽さ。何という虚しさ。 誰がために国は在るのか? 誰がために個は存在するのだろうか..... ( 1998.12.12 記) |
昨年の夏ドイツのベルリンでロバート キャパの戦争写真展を見た。あんなにも人間の愚かさ、おぞましさを繰り返す「輩」、
主に為政者達の無知さに改めて空しさと腹立たしさを覚えた。キャパがサイゴンで地雷を踏んで爆死したあと、親友の一人である
ヘミング ウエイがキャパに贈った言葉の中に"No one wins a war."というのがあった。全くそのとおりである。
たとえ勝者がいたとしても、それはほんの一時にすぎない。必ず、あとでその「つけ」は回ってくる!
そしてその「つけ」はいつの時代も、正直に生きようとしている無辜の民に回され、責任を取るべき首謀者達は時を越えて
いつの間にかまたヒエラルキーの上層に陣取っている。我々は多くの例証を過去の歴史に見てきているはずなのに・・・。 アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、日本・・・と旅の途中でキャパの写真展を見てきたが、世界には未だに自らを旧いイデオロギーの 信奉者として国家、国民を私物化することに何の畏れも抱かない為政者達がいることが悲しい。 キャパ流のサーカイズムで、ある時期彼は自分の名刺に [War-photographer]、[unemployed] と印刷していた。 「戦争写真家の一番の願いは失業することだ。」 この言葉の意味を知らしめるべきは誰に? ( 2001.9.15 記 ) |
先日セバスチャン サルガドの写真展を見に行った。一貫して彼の作品のテーマは、富める者と貧しき者との狭間で生じる不条理の連鎖を告発するものである。
今回のテーマも巨大化するグローバル エコノミーのシステムの下で貧富の格差が拡大し、その結果否応無しに難民、亡命、移民を繰り返しながら貧富の
完全二極化へと突き進んでいく様を幾つもの国境を越えて記録したものである。 サルガドはここでも強調している。このシステムにより人類の 1/5 が富める者となり、4/5 が貧困に苦しんでいる。"ほどほど"という概念を忘れてしまったかの ように、富に執着した輩は一つのパイの中で自分の取り分を可能な限り増やそうと懸命になり、誇らしげに勝ち取った物質的豊かさを披露する。 そこには相手の心を思いやる匙加減すらも存在しない不条理だけが残る!! ( 2002.10.31 記 ) |
今年の夏、プリモ レーヴィの心の叫びを確認したくてドイツ、ポーランドを旅しユダヤ人強制収容所跡地を訪ねた。
今の混沌とした世界を思うとレーヴィの投げかけた言葉 "これが人間か" が今更ながら心に強くのしかかる思いであった。 「自由は言葉の原点である筈なのに人類は過去から何も学んでいない。21世紀になっても殺戮、抑圧、 抑止の時代は続いているし、将来もずっとこれは続くだろう。もはや自分の役割の意味すらない。」 ・・・ プリモ レーヴィはこの言葉を残して1987年自宅マンションのエレベーターホールに投身自殺をした。 レーヴィはムッソリーニに反抗してパルチザン活動中にイタリア・スイス国境の山中にあった隠れ家で逮捕された。 その一年後アウシュヴィッツに送られ連合軍に解放されるまでの約2年間収容所でナチスの強制労働に従事 させられた。同時期に収容所送りとなった囚人600人中125人が強制労働へ、残りはガス室送りとなり、 無事収容所を出られたのはわずか3人であった!くしくもその3人の生存者の一人がプリモ レーヴィであった。 トリノに戻ってほどなく、本来は化学者であった彼はこのおぞましき経験を広く世界に知らしめるべく強い使命感を持って 作家活動に入った。しかし彼の思いとは裏腹に彼のテーマである人類共存の思想を世代を越えて定着させることの難しさ、 若者たちの無関心さが彼の虚無感を日々増幅させていった。その上、ユダヤ人である彼にとってイスラエルは聖地であるはずだったが、 そのイスラエルの国のあり方に彼は疑問を抱いていた。そして1982年のヨルダン侵攻が彼の思考を決定的なものにした。 ”イスラエル=ユダヤの民”がユダヤ人として過去から何も学んでいないことに絶望し、彼自身が体験者として伝承することに限界を感じた 彼は自ら生涯を閉じた。 "Se questo e un uomo"、 これが人間か!! 彼には生きた証として三つの数字の綴りがある。 生年ー1919、没年ー1987、そして "174517"−アウシュヴィッツで腕に刻まれた 彼の囚人番号である。 ( 2003.11.29 記 ) |
またロバート キャパの写真展がやって来た。彼の写真展はあちこちで見てきた。その中のどの写真展
だったか覚えていないが、或る一枚の 写真が私の心に住み着いてしまった。もしかして今回もその写真が見られるかと期待したのだが
展示はされていなかった。![]() この不条理をどう理解すればよいのだろうか。戦いの最前線で死に行くのはいつも若い兵士たちである。作戦参謀は最前線から遠く離れた 場所から指揮を取り、たとえ万策尽きてもまだ意固地に己の功績のために策を講じようとする愚の上に、尊い若者たちの明日が消滅していく。 何という不条理!いつになったら人間はこの愚の連鎖を断ち切ることが出来るのだろうか。 人間は”ほどほど”という遺伝子を遠い進化の過程で何処かに置き忘れてきた。動物社会では生きるために殺生はするが、空腹を満たした 後はお互いがある一定の領域を守ることで共存できている。サルから人間に進化する過程で人間は一番大切なものを放棄してしまったのか。 ”ほどほどの按配”を傲慢な為政者や金満家たちに悟らせることはもはや不可能なのだろうか。そしてこの中には宗教者たちも入っているの が可笑しくもある。中世以来、宗教戦争は経済戦争であった。だから人を救うはずの教義で人を殺しても彼らはその矛盾を大義にすり替えて 容赦なく殺戮が履行できた。富の分捕り合戦が終わらない限り万人に並の生活のカケラすら及ばないのは周知の事実なはずなのに・・・ 写真の中で、心地よく目を閉じて若い兵士に体をまかせている仔犬の恍惚の表情に見る者は大いなる安らぎを覚えるのだが、この若い兵士は 果たしてこの戦火を生き延びたのだろうか・・・?( 2004.11.30 記 ) |
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