第1章 リスボンまでの寄り道 ある夏の夕刻、フランスのボルドーから列車でスペインを抜けてポルトガルのリスボンに向かった。 寝台車のコンパートメントには私一人だけだったが、途中の駅から二人の若い女性と同室になった。アムステルダムで2週間の休暇を過ごして帰国の途中だと言う。 二人は姉妹であった。姉の名前はリタそして妹はルデッシュといった。妹の方が社交的で英語も上手に話せたが姉は物静かで寡黙な女性だった。私がリスボンまで行くことを知ると、 もし決まった日程がなければポルトガルを出る前に自分達を訪ねるように、と誘ってくれた。それから私たちは列車の揺れにまかせて思いのままに語らった。お互いの国の文化習慣、 教育にまつわる話、お互いの国の経済事情まで・・・随分いろんな話をした。 翌朝寝台の上下から朝の挨拶を交わしたときには既知の友のような和みがあった。何時間が過ぎただろうか、話に夢中になっているうちに彼女たちの降りる駅が近づいてきた。 慌てて身の回りを片づけた後、是非訪ねて来るようにと、先ほど私に渡していた自分達の電話番号を再度確認してから、二人はお互いの背中を押すようにして列車を降りて行った。 リスボンに3日ほど滞在した後コインブラ行きの列車に乗った。車中で地図を広げて見ていたらあの二人の姉妹の住んでいる町が見つかった。オリヴェラ デ フレデ ・・・舌をかみそうな名前だ。なんだかもっと話がしたくなり、急遽旅程を変更してコインブラからアヴェイロ経由で更に北にあるその町まで行くことにした。 アヴェイロの駅から妹のルデッシュに電話をするが、あいにく彼女は留守らしい。電話の向こうの女性に用件を伝えるのだが話がなかなか通じない。そんな姿に同情したのか、側で私のやり取りを聞いていた 二人の若い女性が私に代わってポルトガル語で電話をしてくれた。電話をかけてくれた女の子は全くなまりの無いとてもきれいな英語を話した。お礼を言って電話の料金を払おうとしたが、頑として受け取ろうとしない。 逆に貴方のお手伝いができて私たちも嬉しい、と言うと二人は私に手を振りながらホームに出て行った。 後で分かったことだが、電話に出たのは姉のリタだった。英語が苦手な彼女はフランス語を流暢に話し大学で経済学を教えているインテリでもある。 妹のルデッシュは大学で心理学を学んだ後、いまはソーシャルワーカーとして18歳までの精神薄弱児の生活指導に取り組んでいる。この後、私をあちこちと案内する道すがら、彼女はこの仕事の有意義さやその難しさを私に 訴えるように熱く語ってくれた。 丁度私が駅から電話をしたとき、妹のルデッシュは近くに住む母親のところに行っていた。その週末だけ二人の姪の世話を頼まれて彼女たちを迎えに行っていたのである。リタだけでも家にいたことは本当にラッキーだった。 さもなくば、連絡が取れないまま見知らぬ土地で私は途方に暮れていたことになる。 リタの指示どおりアヴェイロからバスに乗ることにした。窓口で時刻を確認すると駅員が、丁度今から出発するうちの会社のバスがあるから急いで行きなさい、と言って駅の外に いる係員に合図を送ってくれた。運よく出発間際のバスに飛び乗り、それから3時間バスに揺られた。 運転手も途中交代するのだろう。運転中の男性の後ろにもう一人の 運転手が座っていた。勤務に就いていないのか、やたら私に話しかけて来る。なんとも気のいい人たちばかりだ。後ろの座席からも前の座席からも人々がやってきて、私が広げている 地図を覗き込んであちこち指差して、ニコニコしながらお互いに話をしている。君がフランス語が出来たらもっともっと話せるのにねー、といかにも残念そうにみそっ歯で笑った。不肖にもフランス語が当地でこんなにも通用しているとは知らなかった。 終点のバス停にルデッシュが車で迎えに来ていた。姉妹二人で一緒に住んでいるというアパートに着くと、ルデッシュは部屋を案内しながら自分達の日常を色々話してくれた。 リタも外出先から二人の愛くるしい女の子を連れて戻ってきた。彼女たちの長姉の子供たちだ。二人とも利発そうな、とてもお行儀の良い子だった。 ひと休みしたあとルデッシュの運転で オリヴェラ デ フレデの町をあちこち案内してくれた。 町から一時間ほどの温泉保養地で有名なテルマにも行った。日本の草津温泉みたいなものだろうか。夏の休暇を利用して 近郷近在の人たちでごったがえしていた。さすがにこんな内陸まで来ると外国からの観光客は殆どいないのか、行く先々で人々の視線を感じて落ち着かない思いだった。 人々はみな素朴でいかにも実直そうだ。賑やかな市も出ていた。美しい刺繍のスカーフを目深に被りきれいに着飾った娘たちが黒い民族衣装、黒い帽子、黒いシャツ、黒いズボン で正装した若い男たちと濃い緑の木立の中に組まれた舞台の上で軽やかにダンスを踊っていた。 日没近くみんなで私をバス停まで送ってくれた。バスでビズーまで出ないとコインブラ行きの列車に乗れないのだ。 皆でバスが来るまで車から降りて待っていてくれた。バスが来た。私が乗り込んだ後もルデッシュは運転手と車掌に私の行き先を伝えて、無事に着くように頼んでいた。ポルトガル語ではあったが、 その心遣いは十分私に伝わった。バスが出発した後も小さな女の子の手を握る二人の姉妹の姿が薄暮の中にやさしく残っていた。心優しい人たちに強く想いを残して私は夕闇のビズーに旅立った。 丹色の薄雲の間に見え隠れしながら夕陽が山の端にゆっくりと落ちていった。藍にやわらかい茄子紺の色を流したような空に星が光っていた。気のせいではないだろう。どの星も一等星 並みの大きな黄色い星がチカチカと輝いていた。 夜の10時過ぎにビズーに着いた。コインブラ行きの列車はもうなかった。仕方なく翌朝一番のコインブラ行きの列車を確認し、その晩はビズーに泊まることにした。駅を出ると三人、四人、中には五人が一つのグループになった男達がこれといって何をするでもなく立ち話をしていた。 男達は二十前後から五十前後くらいの歳格好だった。夜も遅かったので私は不安になり彼らの横を身を硬くして摺り抜けて行った。「タクシーか?」とその中の一人が声をかけてきた。 用心深くその男を観察したが、屋外の薄明かりの中でにっこり笑って私に問いかけるその表情は素朴で、少なくとも”腹に一物”という雰囲気はなかった。 少し安心した私はホテルを探していることを告げた。すると周りに居た男達が一斉に私を取り囲み口々にどこのホテルがいいだろう、とホテルの名前を声高に並べ出した。結局、3つほど候補が挙がり、頭髪が少し 後退しだした男のタクシーでホテルに向かうことになった。時間も遅かったうえに週末ということもあったのだろう、三つ目のホテルでやっとチェックインすることができた。 長時間バスに揺られて疲れ果てた頭では明朝の列車の出発時刻を記憶するのが精一杯だった。結局、私はジャーナルを書く間もなく爆睡していた。 それにしても何と心優しいジェントルマン達だったことか。はだけたシャツの胸元から毛ムクジャラの日焼けした肌を覗かせている男達の姿は普段であれば私の警戒心を煽るのだが、その屈託の無い笑みはその土地柄からくる 独特の天性なのだろうか。皆一様に眼差しがやさしかった。 |
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