ハバナ キューバの社会主義の下で生活する人々をこの目で見たくて急遽旅に出た。滞在を重ねる中で私の稚拙な知識がいかにキューバの実情と違ったものだったかを思い 知らされた。現地に滞在して実感したもの、特に、ハバナ大学を訪ねた折にキャンパスをあちこちと案内してくれた学生の切実な会話に大きなギャップを感じた。 少なくとも教育、医療費は無料と思っていた。授業料は確かに無料だが、教科書代が非常に高い。それを補うためにアルバイトをしたいのだが、学生の本分は勉学にあるとの 国の方針のため、学生は一切収入につながる仕事をしてはいけない。大学での留年は2年まで、それ以降はどんな理由があろうとも認められない。 医療にしても無料に非ず。それどころか、提供する貢物次第で治療の内容も異なるようだ。お金のない人はまともな医療の施しを受けるのは難しい。食料品を持参すればそれに見合う だけの施しで終わり、裕福な人はお金をつかませて最高の処置を受ける・・・それでも政府は正当な社会主義だと胸を張る。だからこそそういう社会の一辺から零れ落ちないように、 どの学生も卒業後の進路をはっきりと見据えて真剣に勉学に取り組む姿勢あるのみだという。社会の一部を垣間見たに過ぎないとはいえ、こうして現地の生の声を通して知る旅の意義を あらためて認識した。 キャンパスを出て大学の周りを案内してくれたとき、穀類、豆類が壁の棚や、通りに面した大きなガラスケースに入れられた店があった。食料は配給制のためクーポンと交換で必要量 をもらう仕組みのようだ。食料の半分程は保障されているとか。戦後の日本を思い出させるような情景だ。 前日一人で路地を歩いていたら、きれいに積み上げられたカラフルなカリブの果物や野菜を売っている小さな、小さなマーケットを見つけた。入り口の左側は肉屋さん。メインは鶏肉。 時折、豚肉の塊を大鉈で捌いていたが、目の前で刃物を打ち下ろす様は怖かった。 写真を撮ろうと一歩足を中に進めると、威勢のいいおばさんがモンキーバナナを一本もぎとり、私にプレゼント。私がキューバン・ペソは持ち合わせていないからというと、私の手にその かわいいバナナをねじ込んでウインク。そのあとから、横に立っていたお兄さんがこのバナナの味は最高だよ、といって小さな房を1CUCでしつこく売りつける。ゴメンナサイ。これも戦略? こんな小さなマーケットの突き当たりの壁にも、あの見慣れたチェ・ゲバラの大写しのポスターが貼られていた。 キューバは完全に二重通貨制のため、観光客は現地通貨の24倍に設定された別の通貨を使う。通貨が違うために、地域の人々の市場で面白いものを見つけても買えない。 観光客に存分に外貨を落としていってもらうためのシステムだ。観光客が利用する場所では物価は日本と変わらない。当然現地の人々はそういう場所を利用することはない。 物質的には恵まれずとも人々は陽気だ。街なかであれ、路地裏であれサルサのリズムで歌い、踊っている。私が一番驚き、気に入ったのは建物の美しさだった。コロニアル時代の美しい建築群が街のいたるところに 建っている。みな古く、手入れをしていないものが大多数・・・でも往時のプライドがそっくりそのまま残っている。一日中街を歩き回ってもその建築様式の妙を楽しめる。 革命家、チェ・ゲバラもいまだ健在だ。小学校から大学までチェ・ゲバラをしっかりと学んでいる。私を案内してくれたお礼にお茶に誘った喫茶店で、ハバナ大学の学生がカバンから 一冊の教科書を取り出して見せてくれた。フィデル・カストロとキューバ革命を軸に、革命家の生涯とその政治信条が綴られた一冊だった。タイプで打った原稿をガリ版印刷したような 一見粗末な教科書ではあったが、彼はその一ページ、一ページを大切に開きながら革命家=チェ・ゲバラの生き様を私に篤く語ってくれた。一方、フィデル・カストロの信望は今も篤いようだが、 現議長、ラウル・カストロの評判は芳しくないようだ。別の場所で知り合った若い女性はあからさまに弟ラウルの執政に噛みついていた。 1950年代のアメリカ黄金時代の車がこれでもかというほど走ってる。きれいに磨き上げた車、ボンネットがはずれかけている車、錆びて車体に穴が開いたまま軽快に走る車・・・とにかく見ていてあきない。あらゆるもの が不足している中で、大切に使いこなしている様が見て取れる。 基本的生活の中で、まだ”足るを知る”精神が人々の生き方に備わっているのか、ツーリスト目当てのタカリやしつこさはあまり感じない。もちろん、街の通り、角々すべてに警察官が立っている故か、ハバナ人たちは 「ここは世界一安全な街だ!」と胸を張っていた。サルサの生バンドがあちらこちらから聞こえてくる。一見、身なりは貧しいようでも生き方に楽しさがある。不思議な国だ。?! ( 2011.3.11 ) |